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私立中高ベテラン教師のつぶやき

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みんな同じでいいのか!今の私立中高への提言


先日、私立中高の受験事情に詳しい教育評論家がこんなことを話していた。「最近、どの学校説明会に行っても、進学実績と学習指導の話しか出てこない。たくさん学校を回るとみんな同じ学校に見えてくる。いったいどの学校が良い学校なのか、さっぱりわからなくなる」


私学=予備校の延長?
少子化の進行と不景気の長期化で私学のマーケットはますます縮小している。そのため、各学校は生き残りを賭け、どこも「進学実績」だけで鎬(しのぎ)を削っている。私もその切実な事情はよくわかる。しかし、私学すべてがそれだけで競っているのはいかがなものか。さきほどの教育評論家の言葉ではないが、その行き着く先は「みんな同じ学校」になるだけだ。すなわち、その違いは「東大」に送る生徒数の差にすぎない。そして、その違いだけだったら、当然、数の多いところに人気が集まり、少ないところは消えてゆくだけである。もっとも、私学なんて予備校に毛の生えたようなもの。それでかまわないといわれるならば、それで話は終わってしまう。しかし、本当に私学は予備校に毛の生えたものなのか。「東大」に生徒を送るためだけの場所なのか。今こそ、保護者の方や私学の先生方にもう一度考えていただきたい。


私学の理念を思い出せ!
私学のルーツをたどれば、江戸時代の私塾に行き着く。江戸時代には幕府や藩の学校が各地にあった。しかし、それらは一部の支配階級養成のための特権的で排他的な機関にすぎなかった。それらの「官学」に疑問や不満を抱く武士や純粋に学問を志す農民や町人達の要求を満たしたのが私塾であった。そして、江戸時代を通じて幾多の優位な人材を輩出したのは、まさにそれらの私塾であった。それは歴史が証明している。吉田松陰の松下村塾しかり。緒方洪庵の適塾しかり。これらの私塾は幕府の学問所や各地の藩校に生徒を送るための予備校ではない。「官学」をはみ出した人々、「官学」から排除された人々の鬱屈した知的エネルギーを掬い取る場所だった。その事情は明治時代も同じである。藩閥政府の作った新たな「官学」に不満を持つ人々が創設したのが、慶応義塾であり、東京専門学校(早大)であったではないか。


「官学何するものぞ」の気概
東京理科大の前身である「東京物理学校」もそんな学校の一つだと聞いたことがある。この学校には面白い話がある。この学校は入学試験がない。簡単に入学できる。しかし、進級・卒業が厳しく、「だれでも入れるが、だれでも出るのが難しい」といわれた。そのおかげで卒業生は世間で高く評価され、物理学校卒という肩書きだけで教員免許なしでも旧制中学の教員になれたという。実際、夏目漱石の名作「坊っちゃん」の主人公も物理学校卒というだけで免許なしに松山中学に赴任している。また、本当かどうか知らないが、この学校は入学試験のみならず、入学式もなかったという伝説がある。そんな儀式をする暇があったら、さっさと勉強をしろというわけだ。やることもここまで徹底すると小気味好い。ここには「私学」蔑視の時代の中で、「官学」何するものぞ、実力ではだれにも負けないという気概が溢れている。


私学の多様性、独自性に目を向けてほしい
私学の特色とはこういうものではないだろうか。既成の教育概念や学校制度からはみ出すこと。「官学」が逆立ちしてもできないようなことをあえてやること。これこそ私学の特色ではないのか。その気になれば、私学だけにできることは、まだたくさんある。知恵も人材もあるはずだ。私学に誇りを持つ私学の先生方よ、勇気(おそらく、これが今の私学には一番欠けている)を出してほしい。そして、「官学」ができないこと、私学だけができる破天荒な学校づくりをしていただきたい。また、私学をよしとするお気持ちがある保護者の皆さん、そういう学校づくりに努力する私学をどしどし評価し、応援していただきたい。皆さんが「偏差値」という1本のものさしだけに頼らず、その学校が実施している多様な教育内容をご自分の目で確かめていただければ、表面には出てこないが、独自の特色ある教育を実践している学校が存在することがおわかりになるはずである。グローバル社会で生き残るためには多様な能力が必要だ。1本のものさしだけで人間の能力を推し測ることは、前世紀の高度成長時代の遺物である。ご自身の、価値転換をぜひともお願いしたい。

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